cul-de-sac

「芸術作品の意味は作品にあるのではなく、鑑賞者にあるのだ」 ― ロラン・バルト

舞台『その人を知らず』

新劇交流プロジェクト
『その人を知らず』

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2017年6月29日(木)~7月10日(月)
東池袋あうるすぽっと
http://www.t-toen.com/play/150.htm

作:三好十郎
演出:鵜山仁

2017/07/09(Sun)13:30開演
観劇してきました。以下はその覚書と感想です。
盛大にネタバレしているので、未見の方やネタバレがお嫌いな方は読まないことをおすすめします。
よろしくおねがいいたします。

↓公式サイトより↓

story

「なんじ殺すなかれ、・・・・・・おのれの如く隣人を愛せよ」
純朴にイエスの教えを守り、召集を拒み続けた片倉友吉。彼は、名もない一介の計器工場で働く時計工である。
しかし彼の思いは戦時下においては非国民となり。憲兵にとらえられ過酷な拷問と、同僚からの迫害に耐え続けなければならなかった。友吉の徴兵忌避は周囲の人達をも窮地に追い込んでいく。父は自殺、弟は職を奪われ自棄するように戦地に赴き戦死、そして母親が、妹、友人達が・・・・・・。彼を信仰に導いた人見牧師も妹・治子もその渦の中に巻き込まれていく。
それでも彼は「戦争はいけないことです」と子供のようにつぶやき続けるのだった。


『その人を知らず』は青空文庫で読むことができます。
『その人を知らず』


impressions

その人を知らず

幕切れとともに膝を打った観客は私だけではないと思う。

子供のように単純な男

ユダでもなくペテロでもなく

……それが、みんな悪い人間の悪い行いを見たためではなくて、正しい人間の正しい行いを見たためだ。……私を地獄に落したのは悪魔ではなくて、天使だ。……私をダラクさせたのは、疑いではなくて、信仰だったのだ。……ユダがもし、キリストに逢ったり、キリストを信じたりしなかったら、悪人にならないですんだのではないだろうか? ……私の信仰をつつきこわしてしまったのは、片倉の信仰だ。まるで神さまのようなあいつの強い信仰が、私をドブの中に叩きこんでしまったのだ。

終戦を迎えた人々

友吉は終戦を迎えて、自分自身の信仰について考えるようになったように見えた。
脇目も振らず信仰することができるほど、友吉は無邪気ではいられなくなったのかもしれない。

わからない。僕には、よく、わからない。神さまは――

 

私は人見先生がいよいよわからなくなってしまった。

なぜ人見先生は友吉の心を砕くようなことをするようになってしまったのか?
なぜ人見先生は友吉に対して憎悪に近い感情を抱くようになってしまったのか?
なぜ人見先生は友吉の変化を汲もうとはしないのか?

キリスト教を受け入れる――神を受け入れる受け入れかたにも、人によっていろいろの形が有って――その事が僕にもわかって来たんですよ――いろんな形が有る。そのどれもが、広い大きな目から見れば、みんな神さまのものです。


私の感情はあまりにも友吉に寄り添い過ぎているだろうか?

友吉の変わりようは、人見先生の変わりようを、なんとか受容しようとする子供のようだとすら思った。

「われらのために十字架にかかりたまいしイエスのみもとにて逢わん」

洗礼を授けられた日の、その言葉を信じて…。