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cul-de-sac

「芸術作品の意味は作品にあるのではなく、鑑賞者にあるのだ」 ― ロラン・バルト

舞台『太陽』

イキウメ公演
舞台『太陽』

イキウメ公演『太陽』

2016年5月6日(金)~5月29日(日)
@シアタートラム
http://www.ikiume.jp/koremade_23.html
[作・演出] 前川知大
[出演] 浜田信也 安井順平 伊勢佳世 盛隆二 岩本幸子 森下創 大窪人衛 / 清水葉月 中村まこと

2016/05/18(Wed)収録
2016/07/04(Mon)放送
視聴しました。以下はその覚書と感想です。
盛大にネタバレしているので、未見の方やネタバレがお嫌いな方は読まないことをおすすめします。
よろしくおねがいいたします。

↓公式サイトより↓

story

昼と夜に、別れてしまった未来。
四十年程前、
世界的なバイオテロにより拡散したウイルスで人口は激減し、政治経済は混乱、
社会基盤が破壊された。

数年後、感染者の中で奇跡的に回復した人々が注目される。
彼らは人間をはるかに上回る身体に変異していた。
頭脳明晰で、若く健康な肉体を長く維持できる反面、紫外線に弱く太陽光の下では
活動できない欠点があったが、変異は進化の過渡期であると主張し自らを
「ノクス」(ホモ・ノクセンシス=夜に生きる人)と名乗るようになる。

ノクスになる方法も解明され、徐々に数を増やす彼らは弾圧されるが、変異の適性は
三十歳前後で失われる為、若者の夜への移行は歯止めが効かなくなった。
次第に政治経済の中心はノクスに移り、遂には人口も逆転してしまう。
ノクスの登場から四十年、
普通の人間は三割程になり、ノクス社会に依存しながら共存している。
かつて日本と呼ばれた列島には、ノクス自治区が点在し、緩やかな連合体を築いていた。
都市に住むノクスに対し、人間は四国を割り当てられ多くが移住していたが、未だ故郷を離れず小さな集落で生活するものもいた。

↓ここから私の感想↓

impressions

キュリオとノクス

「好奇心と差別の根源はひとつであるような気にすらさせられた」
視聴後、名状しがたい感情が交錯するなか、最初にメモした言葉。

curio


[curiosityの短縮語]
骨董品;珍しい美術品;風変りな人
『ジーニアス和英辞典』大修館書店

すこし冷静になった(?)いま、好奇心と差別感情の根源がひとつである(と感ぜられた)からと言ってどちらも悪いものであるとは思わない。
ただ、別の言語では好奇心と骨董品とがさも常識のようにひとつの単語で表現されることを知って、私は私自身の愚鈍さを恥ずかしく思う。

鉄彦「そんなの自分がノクスだから言えるんだよ。お前は俺のこと見下してるんだ。学校なんてくだらない、ノクスなんて大したことない、そんなこと言えるのは全部お前が持ってるからじゃねーか!」

森繁「そんなんはな、ノクスになったって解決しないよ」

鉄彦が抱える弱さ、劣等感、被害者意識。
鉄彦が言うことも、森繁が言うことも、各々にとって事実だ。
持つ者と持たざる者との間に横たわる深い溝。覆しようのない「違い」を超えて対等に向かい合うことの難しさを残酷なまでに示している。
何を以って強さというのか、正しさというのか、ゆたかさというのか。
ノクスは明晰な頭脳と丈夫な肉体を持つ、キュリオよりも優位な種族であるという設定にも関わらず、彼らが失ったものばかりが気掛かりに思えるのは、自分が『太陽』の世界観においてはキュリオであるからなのだろうか。

太陽が象徴するもの

この物語の中で太陽が象徴するものはひとつではないように思えた。
倫理、感受性、境界。
太陽の下を歩けるキュリオとそうでないノクス。太陽に背を向けるノクスとそうでないキュリオ。夜明けを知るキュリオとそうでないノクス―――。
人間達が口にする太陽という言葉に込められた様々な意味は何なのか。
物言わぬ太陽は静かに観客の心を照らし、燃やし、問い掛ける。

人間らしさとは

失ったように思われて、拭い去れないもの。
嫉妬、差別感情、血縁へのこだわり。
ノクスとキュリオはまるで別の生物であるかのような錯覚に陥る瞬間と、やはり同じ人間であると思わされる瞬間とが寄せては返す波のように訪れる。ノクスは完全な不老不死を手に入れたわけではない。感情を失ったわけでもない。ノクスとキュリオの差異は、現実社会の人間ひとりひとりの差異を拡大して見せる手法のひとつなのかもしれない。

幕切れ

小噺『ボトル半分のワイン』のようだと思った。
「なんということだ!まだ残り半分もある」
「なんということだ!もう残り半分しかない」
生粋のノクスである森繁と、キュリオであることを選択した鉄彦とが、今後どのような道を辿っていくのか。二人の関係に希望を見出すのか、絶望を見出すのか。観客は宙ぶらりんのまま現実に帰ることを余儀なくされる。
ノクスになる権利書を引き裂き叩き付け蹴り飛ばす鉄彦。ノクスになりたがっていた鉄彦のその行動に驚く森繁。そして二人は互いに歩み寄る。微笑む森繁とは対照的に、鉄彦は何か覚悟を決めたような、挑むような表情。暗転。
いっそくやしいほどいい塩梅の物語の余白。

割と冒頭の鉄彦と森繁の会話で、ひとつの答えが提示されているように感じた。

森繁「だから今、俺達が見ているこの星空は実は全然違う。悪いけど俺の目にはもうすごいよ、満天の星空なんだ」
鉄彦「へぇー、いいね」
森繁「本当にそう思ってる?」
鉄彦「今のままでも結構きれいだけどね」
森繁「まあ俺は生まれたときからノクスだしこれしか知らないからね。比べるもんじゃないと思うけど」
鉄彦「もし俺がノクスになったら今の空よりきれいって思うかな?」
森繁「さあね。いっぱい見えるのは美しさとは関係ない気がするよ」

私が「この後どう物語が展開していくんだろう?」と思ったところへ来て、彼らの距離が近付いていき、衝突し、そして選択していく。
個人的に、この物語の主題のひとつは「人間同士の距離感」なのかなと思う。互いが違うことを緩やかに自覚し問題としていなかった序盤から、接近していくほどにその違いに葛藤する。

腐女子の欲望をありのまま吐露するならば、鉄彦と森繁はキュリオとノクスのまま交流を続けて欲しい。老いない森繁と、老いていく鉄彦。そして鉄彦が事切れるとき、森繁に「ほら、これがキュリオの最期だ。ノクスとキュリオは違わないってこのザマを見ても言えるか?キュリオは美しいって言えよ。キュリオは素晴らしいって言えよ。キュリオは魅力的だって言えよ。“ノクス”の口から、聞かせてくれよ」と告げて消えない爪痕を残してほしいですね!!!

鉄彦と森繁の話ばかりしてしまいましたが、金田と草一の話はもう到底まとめられる気がしません。
とりあえず金田はおうちに帰りましょう。